65年目の朝。

非常な蒸し暑さで目が覚める。窓からは太陽の光がこれでもかと差し込んでくる。

65年前の朝、広島の街の真上に突如として人口の太陽が現れた事を思い浮かべる。

8時15分。ラジオでは黙とうの様子が実況されている。

「黙とう」とアナウンスされると、鐘の音だけが聞こえくる。

否、鐘の音の向こうから蝉のせわしい鳴き声も聞こえている。

そうだ、65年前の朝も蝉が鳴いていたのだ。そして、閃光が走った瞬間、その鳴き声も
消えてしまったのだ。その後は蝉の鳴き声ではなく、人々の悲痛のうめき声が渦巻いていた。

何十万の命が一瞬にして、消えた。

何十万もの人々が、楽しいはずの人生を苦しい人生に変えられてしまった。

「安らかにお眠り下さい

       過ちはくりかえしませんから」

この文章の主語は日本でもアメリカでもなく、人類だと思っている。

核兵器は無くすことはできる。僕は強く思う。月に人類を送る事ができるのも人類である。

まずは、人類全体が「核兵器をなくす」という目的意識を持つことから始めなくてはならない。
「核は戦争の抑止力となっている」というのは為政者たちのまやかしなのだ。

戦争や理不尽な貧困の無い平和な国際社会の実現に向けて人類が歩まなければ、原爆のみならず、
戦争で亡くなった尊い命が無駄になってしまう。我々は過去から引き継いだ「いま」を未来へ繋
いでいく義務がある。「核兵器のある社会」より「核兵器のない社会」を子孫に残してあげられ
る方がいいに決まっている。